第94回
JR九州周遊の旅 補足

 そんなわけで6日間の長い旅を終えた私であったが、とにかく遅筆なため記事を書きあげるのに4年も要してしまった。放っておきすぎた。記事を心待ちにしておられた奇特な方がいらっしゃるとしたら、この場でお詫び申し上げます。すみません。

 歴史を紐解くと4年なんて「たった4年」なのであるが、4年という月日は結構長いもので、物事が変化するには充分な月日である。この記事を書くにあたり、基本的にはその時の時制に合わせているつもりではあるが、今回はここに補足を加えるとともに、参考資料として用いた宮脇俊三著の時刻表2万キロとの違いをここで振り返ることにする。



補足



 1) なは/あかつき廃止

 本編でも触れたが、この旅をやろうと思ったきっかけとなる出来事。

 あかつきは1965年に新大阪駅西鹿児島駅(現:鹿児島中央駅)と新大阪駅−長崎駅間で運行を開始したブルートレイン(それ以前にも「あかつき」と名の付く列車は存在した)。最盛期には1日7往復があったというから今聞くと驚く。ただ、当時は山陽新幹線が未開通(山陽新幹線開通は1975年)であった時代背景も忘れてはいけない。その後、行先によりあかつきから明星が系統分割されたり、彗星と併結運転されるようになったり、などを経て2005年に熊本駅行のなは鳥栖駅まで併結されるようになった。

 今回の旅でも鳥栖で切り離されるまでは併結で、旅の計画時には最後までどちらに乗るかを悩んだ記憶がある。また、併結されているうちあかつき側には1両だけ「レガートシート」と呼ばれる座席指定席(寝台車ではない車両)があった。寝台券が不要であるため、当然安価であり、この車両を使うことも検討はしたが、せっかく寝台特急に乗っているのだから寝台で寝たいということ、座席だと寝付けない可能性や荷物の置き場の心配などがあることから断念した経緯がある。

 ブルートレインを含む寝台車が既にJRでは姿を消しつつあり、JR九州管内では既に存在していない。

 2) ドリームにちりん廃止

 特急としてのにちりんは現在でも存在し、通常はおもに小倉駅宮崎駅間を運行しているのであるが、本編に登場したドリームにちりんは1日1本だけ、博多駅から宮崎空港駅まで運行されていた座席車のみの夜行列車である。にちりんの歴史はあかつきより古く1968年から。名称としては、当時は九州内のみを運行していた急行の名前だったひかりが東海道新幹線の名前になるに伴い新設した名前である。

   大分で2時間も停車するとんでもない列車であることは先述どおりだが、このせいか、利用客が少ない(博多−小倉間はたくさん乗っていたが)ということもあり、2011年のダイヤ改正で廃止となってしまった。長大な日豊本線を乗りつぶすには、現在のところソニックひゅうがを用いるのが一番都合がよいようである。福岡から宮崎に行くには少し時間がかかり効率が悪くなってしまっているようだ。

 ちなみに、ドリームにちりんの廃止により、JR九州管内を運行している定期夜行列車は現在のところ存在しなくなってしまった。あかつきと共に、今回の旅でこれに乗れたのはある意味ラッキーだったのかもしれない。

 3) 九州新幹線鹿児島ルート全通

 世間的にはこれが一番大きなニュースであると思われるが、乗りつぶしとしては大きなニュースではなかった九州新幹線鹿児島ルートの全通。

 今回の旅の行程に大きな影響を及ぼすわけではなさそうだが、博多駅−鹿児島中央駅が最速で79分、博多駅−熊本駅が最速で33分で結ばれたというのは移動手段としては大きい。時間との闘いだった乗りつぶしにとって、移動時間が少なくなる意義はとてつもないものである。ただ、これも本編で記載をしたが、周遊きっぷには九州新幹線は含まれていないため、これらを移動手段として用いるには当然自腹となってしまう。その意味では、博多駅−新八代駅間を通常の特急(周遊きっぷで乗ることができる)であるリレーつばめで安価で効率よく乗り継ぎできたことはよかったのかもしれない。

 なお、当然のことながら、鹿児島ルート全通によりリレーつばめは廃止となった。新八代駅手前(熊本寄り)にあった、リレーつばめが新幹線ホームに乗り入れるために無理やりつなげた線路はその後どうなったのであろうか。

 鹿児島ルート全通により、周遊きっぷの九州ゾーンは私が使用した14,500円から14,000円に値下げとなり、九州新幹線の各駅がゾーンの入口/出口駅の扱いとなった(門司駅、小倉駅、博多駅は従来どおり)。リレーつばめが廃止となった分、この5,000円値下げをどう捉えるか。

 鹿児島ルートが全通し開業したのが2011年3月12日。前日に東日本大震災が発生したことにより祝賀ムードが吹き飛んでしまったのは記憶に新しい。祝!九州と銘打った九州新幹線のCM(開通した部分の沿線で人々が新幹線に向かって手を振るシーンが有名)も話題を呼んだ。

 4) ひかりレールスター減便

 これは本編とあまり関係が無いのだが、ほんの少しだけ本編で取り上げたのでここでも。

 上記3)に関連することだが、鹿児島ルート全通により、従来新八代−鹿児島中央で運行していたつばめが九州新幹線の各駅列車(東海道新幹線で言うところのこだま)、その他に速達列車としてみずほさくらが登場した。みずほとさくらは山陽新幹線と相互乗り入れをしており、みずほは山陽新幹線ののぞみと同様な速達扱いであるが、さくらは「ひかり」とほぼ同等な運行である。そこで、相互乗り入れを始めたことにより、従来の山陽新幹線の主力だったひかりレールスターがそのあおりで減便となってしまった。

 ひかりレールスターは従来のひかりとは一線を画す編成で、指定に座れば必ず2-2の座席というグリーン車なみの扱いだったり、コンパートメントがあったりと個性溢れるサービスが魅力だった。のぞみより乗り心地が格段によいのでわざわざひかりレールスターを使う人も多く、8両編成だったこともあり速達列車ののぞみより優先して席が埋まることも少なくなかった。

 特に私が重宝していたのがサイレンスカー。ひかりレールスターの4号車に設置されていたこの車両は、出発時と終点到着間際の案内以外は一切車内放送が入らない(緊急時は除く)という、車中でグッスリ寝るにはこれ以上ない極上のサービスだった。この席には当然静かに過ごしたい人ばかりが座ることになり、ただでさえ静かな車内が余計に静かになり、遠くに座っている人のノートPCのキーボードを叩く音がうるさく聞こえるほどであった。実際、この車両に乗ると静かな上に先述どおり広いスペースの席と相まって、信じられないくらいよく眠ることができた。

 ただ、グループで旅行をする人などには当然不人気で、たまに通常の指定が取れないばかりにサイレンスカーに乗ってきた人が酒を飲みながら大声で話すことなどもあった(そういう客には車掌が注意しにやってくる)。田舎のヤンキーなどは絶対座らない素晴らしい車両だった(そもそも新幹線の車内で、うるさい田舎のヤンキーは見ないけど)が、なんとこのサイレンスカーは九州新幹線乗り入れと同時に廃止になってしまった。ひかりレールスター減便より、個人的にはこちらのほうがはるかに大きなニュースだ。隣の席のうるさい人を怒ることもできない世知辛い世の中で、車内で心地よく眠る一番よい環境を整える術を失ったインパクトは大きい。



時刻表2万キロとの違い



 時刻表2万キロは、当時中央公論社の重役だった宮脇俊三が、当時の国鉄の未乗区間を乗りつぶし完全乗車に至るまでの経緯を綴った紀行文。乗車区間は多岐に渡るが、本文に出始める時(紀行文として始める時)に既に未乗率は1割を切っており、そのために残っている未乗区間が非常にクセのある(簡単に乗ることができない)区間となっており、それがまたこの著作を面白くさせている。乗りつぶしをしているのが1975年からであり、当時の時代背景もつぶさにわかるような記述になっており、紀行文とはまた違った楽しみを与えてくれる名作である。

 この本を知ったきっかけは覚えていないが、鉄道ファンとしては読んで損は無いと私は思う。私のようなライトな鉄道ファンでもわかりやすい記述になっていて、特に難しい鉄道用語が出てこないのがさらに初心者にも読みやすくさせている。このエッセイも94回となり、うち数十回は旅行に関するものになっているが、究極の目標は「初見でも(その土地のことが全くわからなくても)あたかも行ってきたようにその場の臨場感がわかるように」である。ところが、生来のいい加減さが加わり、一部のディープな(失礼)方々しか読まない駄文になってしまっているのが実情である。もともと「エッセイ」なので、書きたいことを書いているだけなのだが、その後ろには「読者」がいるわけで、書きたいことだけを(読み手の感覚を無視して)書くだけではただのマスターベーションでしかない、と私は思っている。

 逆に、著作に出てきて私が乗らなかった私鉄/第三セクターもたくさんある。島原鉄道は当時からある私鉄だが、私がこの旅をした2007年時点より後(2008年)に、島原外港駅加津佐駅間の35.3kmが廃線になった。当時は乗るチャンスがあったが、今となってはどうしようもない。また、当時の国鉄湯前線は現在のくま川鉄道だが、著作では触れているが私は乗っていない。

 私が乗ったのが22路線(九州新幹線を含む)だったが、宮脇氏が乗っているのは当然それより多い路線数なのだが、先述通りすべてが記載されているわけではないので、実際に著作に出てくるのは九州分でも15〜6路線程度である。当時から廃線となりもう姿形が全く見られない路線もあるが、当時は国鉄の路線でも現在は第三セクターとなっている路線も少なくない。そのうち1つが国鉄松浦線で、現在は本編にも登場した松浦鉄道になっている。松浦鉄道の他に私が乗った路線に南阿蘇鉄道があり、国鉄高森線からの転換であるが、これはこの著作には出てこない。

 そのほか、出てくる路線が現在はほぼ廃線か第三セクターに転換されており、当時の乗りつぶしが現在と比べていかに大変だったかがよくわかる。本編の最後のほうに出てきた勝田線宇美駅での乗り換えも大変な思いをしたことがこの中に記載されている。

 筑豊炭田のあるエリアにおいては、現在でも路線が入り組んでいてわかりにくいが、当時はさらに複雑な路線となっていた。伊田線糸田線田川線は現在の平成筑豊鉄道に、甘木線は現在の甘木鉄道にそれぞれ転換、添田線上山田線漆生線香月線宮田線室木線は廃線となっている。これだけ見ても乗りつぶしの経路と距離がいかに違うかがおわかりいただけるだろう。後に宮脇氏は著作最長片道切符の旅で長大な一筆書きの切符を入手して旅をすることになるが、そこでもこのエリアの路線を組み合わせる地図を見るとものすごくゴチャゴチャしているのがよくわかる。

 折尾駅は当時でも立体交差駅となっていた(現在でも立体交差駅であり、本編でも折尾駅の説明がある)が、当時はとても珍しかったようで、その他に京橋駅尼崎駅秋葉原駅武蔵野線にある駅(駅数不明)と紹介がある。現在はこれにとどまらず、さらに新幹線を加えると非常にたくさんの駅があるところが興味深い。これも時代の違いと言えよう。ただ、基本的に本作は国鉄にしか言及されていないので、例えば近鉄で言うと大和八木駅とか鶴橋駅(こっちはJRと近鉄だけど)などは当時からそうだったのかもしれない。

 同じ路線でも当時と線形が違うものもある。特筆すべきは筑肥線で、当時は博多駅から伊万里駅まで一直線で貫く路線であった。それが、電化に際して姪浜駅山本駅までが寸断され、姪浜駅から博多駅まではJRではなく福岡市地下鉄が通るようになった。福岡の某Pナソニックを担当している際、国道385号線に不自然な(無意味な)高架橋があることを不思議に思っていたが、廃線となった筑肥線の一部であることを知って納得した記憶がある。また、東唐津駅は当時スイッチバック構造の駅で、博多側から来た列車は東唐津で方向転換をして山本に向かう形となっていた。本編では西唐津駅から地下鉄直通で博多駅まで乗り換えなしで行っているが、以前は必ず山本で乗り換えが必要で、西唐津と東唐津は松浦川を挟んで対岸同士にあり、つながっていなかったのである。

 本編でも触れた西唐津−唐津間の乗り残しは、著作でも偶然ながらこの区間を乗り残しているのだが、理由は全く異なるもので、私がただ単純に唐津止まりの列車に乗っただけだったのに対し、宮脇氏は知人に聞いた「唐津の伊勢海老が美味い」という言葉をふいに思い出して衝動的に唐津で降りてしまった、というものだった。しかし、氏は次に乗りに来た際、博多側から熊本に抜けるスケジュールで、東唐津から唐津へ直接行く手段が無かった当時の線形で、なんとか時間をかけずにこの区間を乗りつぶす代替案として、東唐津から西唐津をタクシーで飛ばし、西唐津発の唐津線に乗り、山本で東唐津で一度乗り捨てた列車にまた乗るというとんでもなく企てをするのである。結果的にこの作戦は見事に成功し、大きな時間のロスなく旅を続けることができた。このエピソードは多くのページを割かれて書かれているのでこの著作の一番盛り上がる箇所とも言えよう。対して私はただものぐさなだけでちょっと待てば行けた西唐津を次の日に1日後回しにし、結果として次の日の時間をロスするという真逆のパターンを作り出してしまった。

 この例に限らず、宮脇氏はことあるごとにタクシーを使っている。ある時は列車を乗り間違えた際のリカバリプランとして本来乗る列車に追いつくために、またある時は本数の少ない盲腸線の片側だけを乗るためにもう片方の移動手段として、さらにある時は乗り過ごしてしまい後から来る特急を捕まえるために(この際には12,000円という当時の額でも相当高い運賃を払っている)。これだけ潤沢にタクシーを使うと持ち出す金も当然増えるのであるが、氏は旅に青春18きっぷを始めとして安いフリーきっぷ等を使っていないし(注:著作は1975年から77年までの2年で行った乗りつぶしに関する記述であり、当時はまだ青春18きっぷは発売前です)、東京の住まいと乗りつぶしの旅とを頻繁に繰り返していることから金に糸目はつけない羽振りのよい旅をしており(それでもそこかしこで倹約する描写はある)、さすがは大手の老舗出版社の重役である。私には到底マネができない。とは言いつつ、タクシーより明らかに高い新幹線を何回か使ってはいるのだが。

 本編は時代がおよそ30年新しいわけだが、30年は上述の旅から記事書き上げの4年と比べて十分に長く、さらなる背景の違いが明確である。そんな対比を踏まえて著作と本編と両方読んで読み比べていただくと大変面白いのでぜひお試しいただきたい。


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